湯治という言葉をちゃんと調べてみた
なぜ、あの一泊で違いを感じたのか
なぜあの一泊であんなに変わったんだろう。
その疑問が頭に浮かび、家に帰ってから「湯治」という言葉を思い出していました。
湯治って何なんだろう
湯治や湯治場という言葉は昔からなんとなく知っていました。
大きな病気を治すために長い期間泊まり込みで温泉に入る施設。
そんなイメージです。
日本昔話でも「蟹の湯治」「蛇の湯治」などがあります。
蟹の湯治は石川県の話で、鍋谷川のヌシである蟹が侍に化けて湯治に通うという話で、
蛇の湯治も同じように蛇が湯治に通い傷を治すという話ですがこちらは少し怖いお話です。
私が子供の頃は「にっぽん昔話」がテレビで放映されていたので昔話にはすごくなじみがあります。
まだ子供が小さかった頃、我が家の旅行といえばキャンプでした。
上の子が男の子ということもあり人混みや旅館やホテルだと、休みの日でも子供を叱ったり注意したりしなくてはいけません。
それが嫌で人の少ないマイナーなキャンプ場をさがしては家族で出かけていました。
子供を叱るってパワーもいるし「怒りすぎたかな」と反省したりもするので、休みの日くらいは自分も怒りたくなかったし、子供にも自由に泥だらけで好き放題遊んでほしかった。
当時のキャンプ場は今のように施設が整っていなくてシャワーしかないところも多かったです。
田舎の方に行くと夏でも夜は寒いので「やっぱりお風呂には浸かりたいね」と色々探していくうちに、青少年の家のお風呂を借りられるところや、湯治場と一緒になっているキャンプ場などもありました。
私たちが人の少ない自然の中のキャンプ場に出かけていたから、こういう所と出会っていたのかもしれません。
その頃に知ったのが、湯治とは一週間、あるいは何週間、何か月という単位で滞在し温泉と休養を中心に体を整えていくものだということ。
長く滞在する前提なので湯治場の宿は自炊ができる部屋になっていたり、宿泊料金も比較的安く設定されているところが多い。
一度、静岡県の天城峠あたりで湯治場と知らずに家族四人で泊まったことがあります。
その頃の私はまだ30代で「湯治」という言葉が自分ごととして響いてはいませんでしたが、
それでも病院が苦手な私は「病気になったらこんな風に体と向き合う方法もいいな」と思っていました。
昔から続いてきた湯治という考え方
玉造温泉から帰った後に改めて湯治について調べてみました。
日本では湯で治すという考え方が昔からあり、湯の効能と温泉に入ることで自然治癒力を高めて病気や傷を治すことを目的としていました。
現代では病気治療からストレス解消や予防へと目的が変化しているため、短期でいく「プチ湯治」が主流のようです。
調べてみて、私が魅力を感じるのは長期滞在だなぁとなんとなくそう思いました。
今の私にはまだ早いと感じた理由
ただ昔と比べると宿泊料金はずいぶんとあがっていました。
20年ほど前に調べた時は一泊3千円ほどで出ていた宿が今では一泊1万円。
長期滞在となると正直これは今の私には無理だなと思いました。
まだ大病というわけでもないし、時間もお金もそこまでかけられない。
でもいつか本当に必要になった時のために覚えておこう
そう思ってそっと頭の片隅に置いておくことにしました。
湯治という考え方に納得がいった
忘れては思い出すを繰り返す湯治という言葉。
しばらくたってからまた気になり歴史なども調べてみました。
飛鳥時代には天皇や貴族が。
鎌倉時代には熱海や箱根、草津などが広まり武士や僧侶が利用し、
江戸時代には医師が湯治の効能を説いたことで庶民にも広まった。
滋賀県にも歴史上の人物が入ったとされる温泉があったなと調べてみたりすると、楽しくて長時間検索をしまくってしまいました。
基本は二十一日間。
七日一巡りを三巡り。
最初は一日一回から始めて体を慣らしながら少しずつ回数を増やしていく。
大食や大酒は避け、質素な食事と湯と休息を大切にする生活。
治すというよりも整えるための時間。
知れば知るほど「やっぱり私のもっていた湯治のイメージは間違っていなかったんだ」と感じました。
湯治という考え方に改めて触れたことで私のなかで温泉は「たまたま楽になった場所」から、
「もう少し大切に向き合いたい場所」へ変わりました。
そしてその気持ちは自然と温泉を探す私につながっていったのです。

